関東平野ってば、その南部までは縄文・弥生時代までは海・干潟であり、それ以降も、
アマゾンの密林ジャングル以上に山からの雪解け水や、梅雨の豪雨とかで、とにかく水浸しで、
ションベンタレのオムツみたいな場所が関東平野でした。
ションベンタレのオムツみたいな場所を掘り掘れしまくり、治水・物量(流通)の拠点にしたのが徳川であり、
そもそも武家ってば暴力団組織そのものですから、拠点・縄張り確保に有利な場所が、
水の上にある丘とかだたワケで、水がある場所なら暴力団抗争で「水が守ってくれる程度の発想」で、
関東平野みたいな洪水・水浸しなトコを治水・土木工事をぼこしたのです。
徳川の時代は、水戸黄門な「交番」でもお判りのとおりで、決して日本島民(田舎者)90%以上には、
決して何かを書く・描くことも許さず、日本島民=田舎者=畜舎育ちな奴隷にした一方で、
「文字を持つ者である大陸」から、たくさんの職人さんを招きいてきており、
それがやがて、在日外国人さんに対する差別・区別となっていたり、
江戸特区な文化・芸能・娯楽であり、現在の日本国の風俗営業法の届け出者も概ね田舎者=家畜動物化された日本人にはいません。
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